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死ぬほど辛い経験をして身をもって学んだことを全部話す。

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地面に落ちて萎れた葉っぱ

僕は最近死ぬほど辛い経験をした。でも、辛さを通して学んだこと、気づいたことも沢山ある。いま、大地がひっくり返るほど悲しくて何も考えられない人の参考になればと思って話します。

僕もほんとにちょっと前まで、悲しみに明け暮れて何も考えられなかった。不思議なもので、そんな時間を頑張ってやり過ごせば人間悟りが開けて一歩成長するもの。

ではいきます。

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僕の場合

僕が最近経験した今までの人生で最もつらい経験、それは長年付き合った彼女との別れでした。

世の中には色んな人がいる。当然僕よりももっと過酷で辛い運命を味わった人もいると思う。でも、僕の少ない人生の中では間違いなく今までで最も悲しい経験だったことは事実。だからどうか甘っちょろい事とは思わないで下さい。

彼女とは病気で別れたわけでも死別したわけでもありません。ただ、僕に人間的に未熟なところがあって別れるに至った。それは100%僕のせいでした。

新卒で社会人になってから約丸7年、楽しいときも悲しいときも全部一緒に経験してきた彼女でした。朝別々の家で起きたら先ず電話、お互いの会社の昼休みにはLINEで連絡を取り合い、夜寝る前も毎日電話をしてた。休みの日は必ず寝食を共にして、まさに家族同然の人だった。

当り前の幸福が消えてなくなる

お互いがお互いの事を大好きだったし、当然将来ずっと一緒にいると思っていました。自分たちの周囲からもそう思われていたことだと思う。でも、僕には彼女に対してずっと隠し通してきたことがあって、それを自分から告白したことが原因で別れることになりました。

今まで来る日も来る日もずっと一緒にいた分、それを失った時の悲しみは想像をはるかに超えたものだった。それは向こうにとっても同じことと考えると、もっと辛くなった。僕はまだ相手のことが大好きです。これからも一緒に二人で歩いていきたいとは思ってます。でもそれは現実的に簡単なことじゃない。

そして自分が招いた厄介で彼女を悲しみのどん底に陥れてしまった。そんなことを考えるたびに心の痛みが増していく。

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人間辛い時は辛い

抽象的な話しかできなくて申し訳ないけど、要は僕の場合の辛さの原因は、今話した大切な人との別れです。人によって辛さや悲しみの原因は沢山あると思うけど、他にどんなに楽しいことがあろうと、気を紛らわすことがあろうと、悲しいときは悲しいです。

正直僕は、これほど辛いことがあるとは思ってもいなかった。別れの原因が自分にあるだけに、「何でこの時もっとこうしなかったんだ」とか「あの時に話していればよかった」とか悔やんでも悔やみきれない後悔がある。

でも、過去は変えることはできないから、後悔から来る辛さは甘んじて受け入れるしかない。そして、そんな辛い経験を通して人は成長することもあるんだと感じている。

僕が死ぬほど辛い体験をして得たもの

今回僕が学んだことを振り返っていくつか挙げてみる。悲しみにくれているときは気づかなかったけど、いま振り返って考えてみると「ここは成長したな」っていう点が間違いなくある。取り敢えず読んでみて下さい。

大切なものを失うことの重大さ

誰にでもかけがえのないモノってあると思う。自分の場合はかけがえのないものは彼女だった。『だった。』というのは少し説明必要で、今までも勿論自分にとって一番大切な人というのは間違いなかったけど、彼女を失うことでその「重み」がわかった、ということかな。

「失って初めて大切さを知った」なんて言葉は世の中にありふれているけれど、僕の場合は人生で初めて身をもってそれを体験した。そして、もしまたこれから新たに大切な人ができた時には、今回の経験を生かして人を悲しませない義務が僕にはあると思ってる。

ヒトは独りで生きてはいけない

ずっと一緒に歩いてきた人が突然目の前から消えてしまったことで、自分の孤独さに気づきました。勿論自分の周りには優しく接してくれて、自分の事をいつも見守って応援してくれる人はいる。

でも、彼女という自分の生活の大きな構成要素がいきなりいなくなってしまったことで、自分の周りはスカスカになってしまった。散らかってた部屋からいきなり物がなくなってガラっとしたようなイメージかな。生来人間は孤独で、誰かと一緒にいなくては駄目、独りでは生きていけないってことを強く感じました。

人を傷つけることは悪という絶対的な価値観

自分の事を慕ってくれている人の事を傷つけるのはよくない。当たり前の事だけど、今まで僕はそんな当り前ができてなかったことを今回の経験で心の底から知りました。僕もまだあと最低でも数十年は生きると思う。長い長い人生の中で、これからも沢山の出会いがあって、大切な人も沢山できると思う。

いま僕の周りにいる大切な人、これから出会う大切な人を自分のせいで悲しみのどん底に陥れるのはもう絶対にイヤだ。そういう意味で、以前よりは少しは優しいヒトになれたと感じてる。

人生は有限だと気付いた

別れた彼女は僕にとってかけがえのない存在だったことはさっき言いました。そして辛い別れを通じて、もう僕は彼女の様な恋人としてのかけがえのない存在にはこの先出会えないんじゃないかと感じてる。未来の事はわからないから何とも言えない部分はあるけど、少なくともいま現在はそんな風に感じてる。

そんな気付きと同時に、僕の場合は改めて自分の人生はこの先限りなく続くものではなくて、いつか終了を告げられる有限なものであることを実感した。ちょっと抽象的になるけど、今までは目の前には幸せな未来予想図が広がっていて、それが自分の視界を覆いつくしてたんだけど、辛い別れによってそれがぽっかり消えて、これまで隠れて全然見えなかった、ずっと先にある人生の終わりが見えてしまったようなイメージかな。

だからこそ、終わりが来るからこそ、これから前向きに生きていかなきゃいけないと思うのです。

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まだ遅くない!

今まで味わったことの無いような辛さに直面すると、人生がもう終わったような気になってしまう。少なくとも僕の場合は少し前までそうだった。幸せな時間にもう二度と戻れないって知った時に、自分が今までいかに幸福だったかを知って、現在と過去の間にあるギャップに絶望した。

でも、人は自分が成長することでどんな困難も乗り越えられる。だから、「もう終わり」って考えが「まだ行ける」に変わるまで頑張ってほしいのです。これは僕自身にあてたメッセージでもあるんだけどね(笑)

人は変われる

きつい事、辛い事、頑張ること、そんな経験を通じて人は何歳になっても変われるんだと思った。人間、25歳過ぎたらステレオタイプに凝り固まって価値観は変えられなくなるなんて言うけど、絶対そんなことはない。

何歳になっても、新しい出会い、大切な人との別れ、出会ったことの無いような経験、新しい世界を見ることで成長できる。この記事をここまで読んでくれてる人がいたら、そんな可能性もちょっとだけでいいから信じてみて下さい。

僕の場合は彼女との別れに意味を見出そうとした。あれだけ自分のせいで辛い思いをさせて別れてしまったのだから、そこから自分が何かを学び取らなかったら彼女を悲しませた意味がないってことです。いつまでも悲しい悲しいだけでは別れた彼女にも申し訳が立たない。辛さをバネに変化してかないといけない。そして僕の場合はこの数か月間で本当に変わることができたなって感じてます。

悲しみの果てに希望がある(かもしれない)

辛いときはそれを思う存分受け入れるしかなくて、逃げようと思っても逃げられないと思う。溢れんばかりの辛さを無理に抑え込もうとすると必ずどこに穴が開いて悪い方向に向かうだろうから、悲しいときは思い切り悲しんだ方がいいと僕は考えてる。

でも、人生この先何が待ち構えているかはそこまで生きてみないとわからない。今が辛さの絶頂なんだとしたら、この先ポツポツと幸福な出来事があって、そのうち過去を忘れてしまうほどの大きな幸福がやってくるかもしれない。

だから、味わうに味わった悲しみの果てには、大きな幸せがあるかもしれないって思っておくことが大切なんじゃないかな。じゃないと虚しくなるだけだから。

さいごに

冒頭で話したように、僕よりはるかに残酷な経験をしてこの記事を読んでる人も沢山いると思う。親御さんをなくされた人、お子さんをなくされた人、大切な人と死別された人、色々あると思います。僕の経験なんて甘いと感じる方もいるかもしれない。

でも大切なのはそこじゃなくて、これから先、そんな悲しい出来事を通じてこれから自分がどう生きていくかだと思う。特に大切な人を失った場合には、残酷な出来事の辛さの中に意味や糧を見出してあげることが、別れたその人のためにもなると思うんです。事実は変えられないから、そこから先はそれをどう解釈してどう自分の人生の「意味」にしていけるか、じゃないでしょうか。

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